荻窪探索

【荻窪探索】vol.4荻窪の歴史

 

 荻窪駅は『中央線』・『丸ノ内線』・『東西線』・『総武線』と何処に出るにもべんり、便利ー!中央線一の便利な街ではないでしょうか。 閑静な街並みも人気の秘訣。

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荻窪という名前の由来は、荻(おぎ)の生い茂る窪地であった事に由来します。文明9年(1477年)、豊島氏が太田道灌に滅ぼされるまで
豊島氏の領地でした。その後は上杉氏、北条氏、徳川氏と変わって行きました。
江戸時代、荻窪は西側が上荻窪村、東側が下荻窪村、幕府直轄の領地となります。明治時代になると、人口は甲州街道と青梅街道沿いに集中します。そして、明治24年(1891年12月21日)荻窪駅は開業しました。当時の荻窪駅は原野と林と畑が続き、畑の中の人家はまばらで街灯も少なく淋しい所でした。大正12年の関東大震災の後、下町の住宅の多くが壊滅し多くの住民が中央線沿線に移り住むようになりました。与謝野寛・晶子夫妻も荻窪に土地を買い、家を建て、昭和2年に移り住みました。作家井伏鱒二によると戦前から作家、画家が荻窪に多く住んでいたそうです。井伏鱒二は現在の教会通りを少し行ったあたりに住んでいたようです。この頃の荻窪は東京近郊の別荘地として西の鎌倉、東の荻窪と称され、以来閑静な住宅地になっています。また戦後は北口に闇市が出来、駅前にラーメン屋が立ち並び、後に東京で有数のラーメン(荻窪ラーメン)激戦地として知られるようになりました。また地域としてクラシック音楽を支援して、様々なコンサートが行われている。最近ではカレーショップが増え始めている。現在の荻窪駅はJR東日本と東京地下鉄合わせて一日1平均155,496人。

荻窪駅→ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E7%AA%AA%E9%A7%85

【荻窪探索】vol.3杉並中央図書館

緑豊かな荻窪3丁目の住宅街にある落ち着いた癒しの空間です。私は『宅建試験』の勉強にご愛用させて頂きました。笑

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 区政50周年記念施設として、建設された図書館です。杉並区の他の地域図書館を結ぶ要としての機能を備えています。阿佐ヶ谷と荻窪の間に広がる閑静な住宅街の中にある「杉並区立中央図書館」は、蔵書数約55万冊を誇る都内でも屈指の規模を誇る図書館である。こちらでは書籍のほかCD・ビデオなどを貸し出している。また映画会やお話し会などの文化的なイベントも多数開催されている。

 明治大学をはじめ区内の大学図書館も相互利用可能であり、学術的な書籍・資料にも気軽に触れることが可能だ。

 杉並区立図書館では「阿佐ヶ谷文士村」と呼ばれたこの地の歴史を偲び、井伏鱒二・太宰治・伊藤整など文士村メンバーが残した資料を収集・保存している。また彼らの作品も数多く所蔵している点が特徴的だ。

杉並区立中央図書館
所在地:東京都杉並区荻窪3-40-23
電話番号:03-3391-5754
開館時間:平日・土曜 9:00~20:00、日・祝 9:00~17:00
休館日:第1・3木曜日・年末年始
 

【荻窪探索】vol.2天沼八幡神社

夏の終わりには神社からお神輿が出ます。コムフィーからは、社長と田岡クンが参加して、駅前や青梅街道、住宅街を練り歩きました。

P1020808 八幡神社1

天沼の鎮守として四百有余年

 八幡神社の由緒の掲示板が正面入口の右側に設置されております。「新編式蔵風土記」によれば、創建が天正年間ということになっており、今から約400年前のこととなります。

 八幡社は、古くから源氏の氏神として尊敬をあつめ、杉並区内にも八幡社が多く、中には由緒深い神社もあります。当神社が天正年間の創建となりますと、家康が江戸に入城してから、この辺りもやっと開拓の緒についたものと考えられます。そして、この地の農民は自分達の団結と作物の豊作を祈念するための氏神の奉斉を考え、徳川家が源氏の出 (諸説あり)ということから、鎌倉の鶴岡八幡宮の御神体を勤請して神社を創建したものでしょう。

 この天沼地帯は徳川家の氏神である赤坂日枝神社の社領として社寺奉行の支配下にあったと思われます。

天沼八幡神社

【荻窪探索】vol.1天沼弁天公園

からも近く、人も疎らで落ち着く公園。昼寝にはもってコイの憩いの場所です。 もちろん、仕事中はたまにしか行かないですよ、、 

弁天池公園   弁天池公園2

■公園の名称・規模【名称】天沼弁天池公園(あまぬまべんてんいけこうえん)【所在地】天沼3丁目23番1号【開園年月日】平成19年4月7日【面積】5,295.66平方メートル【その他】便所有り、流れ有り ※園内に「郷土博物館分館」があります  

■公園の概要 ○園名の由来かつて、この公園の南側広場あたりにはこんこんと水の湧き出る“天沼弁天池”と呼ばれる池がありました。池は、広さ約300坪(直径35m程度)の円形で、約5坪(直径4~5m)の中ノ島には弁天様が祀られていて、大正の半ば頃までは、日照りが続くと大勢の農民が集まって弁天様へ雨乞いの行事も行なわれていました。この池は、桃園川の水源のひとつでもあり、天沼の地名の起こりになったともいわれています。こうした由緒ある土地の由来を将来に伝承するために“天沼弁天池公園”と名づけました。○郷土博物館分館この館では身近で親しまれる博物館をめざし、新しい博物館活動を展開します。○防災機能この公園は、災害時の一時的な避難場所となるように夜間も開放します。地域の防災機能を担う場として、園内に災害備蓄倉庫・軽可搬(消火用)ポンプ格納庫・地下貯水槽(10t×2基)・井戸を設けてあります。

 

 

 

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